ANTON BRUCKNER Symphonie Nr.5 B−Dur

指揮:セルジュ・チェリビダッケ
ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団
Altus 138/9
サントリーホールでのライブ録音。
さすがに素晴らしい演奏である。
まず、重厚なる布陣にチェリビダッケ自身の吐息を吹きかけると、
まるで全体がゆっくりめに演奏し始める。
約90分なにも言葉はいらない。
ただ凄いとしか言えない。


指揮:サー・ゲオルグ・ショルティ
シカゴ交響楽団
LONDON POCL-2005/6
圧倒的スケールで聴く者を包み込むパワーが感じられ、全く隙がなく細部まで指示のいき通った演奏である。
シカゴ交響楽団の特徴である金管楽器が大活躍し、現代のブルックナー像というものを地で語っている解釈だと思う。
さて、朝比奈氏とシカゴ交響楽団が競演した演奏と比較してみる。
ブルックナーの本質を考えると、朝比奈氏に軍配が上がるのだが、
ショルティ氏の方が躍動に満ちあふれた快演であることは、疑いようがない。
ショルティ氏の演奏は、荘厳かつ威厳ある大聖堂をイメージするとこの曲の素晴らしさがわかるような気がした。

指揮:ギュンター・ヴァント
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
RCA 09026 65032
ライブレコーディングとは思えないほど完璧で精巧に演奏されたブルックナーである。
この演奏には、ケルン放送交響楽団やNDR交響楽団の演奏とは全く違うヴァント氏のブルックナーがある。
私は、初めてこの演奏を耳にした時、危機迫るほどの統率力で精神面と技術面の両方から
ブルックナーの音楽を支配しきった優秀さを感じ、感動の余韻に浸ったほどである。
交響曲第5番を知る上で必ず聴いておかなければならない1枚だろう。

指揮:ウォルフガンク・サヴァリッシュ
バイエルン国立管弦楽団
ORFEO C241 911A
ブルックナーの本道を行く模範的演奏。
バイエルン国立管弦楽団の優れた統率力がよくわかることから録音状態もよいことが言える。
交響曲第5番の音楽性である構造性を客観的に表現しており、サヴァリッシュ氏の主観が表現されていないように見える。
しかし、全体的に流動的な演奏でかつ威風堂々とした解釈は、やさしさも兼ねそろえており、
これこそサヴァリッシュ氏の主観であると思われる。
私は、この演奏を紳士的ブルックナーと感じる。

指揮:クルト・アイリホルン
バイエルン放送交響楽団
CAPRICCIO 08-10 609
聖フロリアン教会での録音だからなのだろうか?
広大な宇宙を感じる響きとスケールの大きい表現が見事な演奏である。
金管楽器の響き伝わる残響が刺激的で、演奏も金管楽器が中心にバランスの効果、特に響きの面で考えられていると思う。
あまりにも金管楽器が華やかである為、響きが単調で何回も聴くと飽きが生じてしまうのではないかと思うくらいである。
それだけブルックナー様式を徹底している名演であるということ。

指揮:エリアフ・インバル
フランクフルト放送交響楽団
TELDEC 0927-41400-2
私はかつてインバル指揮、NHK交響楽団で5番を聴いたことがある。
その時の演奏に極めて近いのがこのCD。
当たり前と言えばそれまでだが、アクが完全に抜けてナチュラルな姿になったブルックナーといった感じ
クライマックスに向かってのテンポよい演奏は壮観と言ってよい
ただしブッルクナーらしい荘厳たる趣きはほとんど感じられないので純音楽として聴くべきだろう

指揮:Stanislaw Skrowaczewski
Saarbruken Radio Symphony Orchestra
ARTE NOVA 74321 43305 2
ドイツ的ブルックナーではなく、どこか異国のブルックナーを感じる若々しい快演。
かなりの部分でオーケストラの統率力が光っており、聴きこたえのある
内容とは思うが、解釈自体が荒削りなので、全体的には落ち着きがない。
交響曲第5番は、巨人的、要塞的と言われているが、この演奏からは、自然人的、城的という言葉が思い浮かぶ。
私は、ブルックナーの音楽からブルックナー様式を無視し、ロマン的な演奏を実現しているように思える。

指揮:ハンス・クナーパーツブッシュ
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
DECCA 448 581-2
ブルックナーは、交響曲第5番を改訂していない。
つまり、原典版しか存在しないのだが、彼の弟子が勝手に改訂してしまった版がある。これは、その改訂版の演奏である。
1956年の録音であるが、まあまあの音でしかもステレオだ。
さて改訂版である為、批評に関していささか公正を欠くかもしれないが、いつ聴いても暴れん坊という感じがする。
それは、まさに改訂が劇的表現を目的にしていることが明白だからである。
この目的に答えるがごとく、クナーパーツブッシュ氏は各セクションの独立性を前面に押し出し、
交響曲の構造の中で十分響き輝かせている。
たまには、ブルックナーの本質を逸脱した問題とされる改訂版を聴いて、新鮮なサウンドを聴いてみてもいいのでは?